私たちがいつも見つめているのは、技術を生み出し、
まだないものを生み出そうとしてチャレンジし続ける人たち。
ここでは、そんな人たちのSTORYをご紹介します。
ひでじビールさんは、どんなことをしている会社でしょうか?
地ビールおよび発泡酒の商品開発製造、販売を行っています。全国でもトップクラスの水質を誇る五ヶ瀬川水系の麓、延岡は行縢に会社を構え、地元宮崎の資源を活用した、地元に貢献する事業展開を進めています。
そもそも、地ビールとはどういうものか教えていただけますか?
今ではクラフトビールと呼んだりするのですが、基本的には小規模生産のビールのことです。酒税法改正でビールの最低製造数量基準が緩和されたことで誕生した、お客様と作り手の距離が近く生産者の顔が見える、地域密着型のビール作りを指します。日本全国で300社近くの地ビールの会社がありますが、そのなかでも我々ひでじビールの一番の特徴は、自社でビール酵母の自家培養を行っているところです。
なぜ、自社で酵母を自家培養されることになったのでしょうか?
売上げが軌道に乗るまでは、美味しいビールを作るために日々試行錯誤をしていましたが、なかなかうまくいきませんでした。そこで私たちは、日本と、ビール作りが盛んなヨーロッパの環境の違いに着目しました。ビールづくりには酵母のコントロールが不可欠ですが、日本は湿気も多く、空気中の細菌などの外的要因もヨーロッパとは全然違うのです。新鮮な酵母を使って、日本の環境にあったできたてのフレッシュなビールを作るためには?という自問を続けて、自家培養に踏み切りました。
酵母を自家培養する地ビールは他にもあるのでしょうか?
日本では数えるほどしかありません。そもそも酵母を培養する技術というものは、とても難しいものなんです。少しでも他の細菌類の影響を受けるだけで、思うような働きをしてくれません。そのため専門家を招き培養技術について徹底的にレクチャーを受けました。また必要な設備も導入し、外的要因を排除する仕組みを確立して、ビール酵母を常に新鮮な状態に保つことを徹底しています。
お話を聞いていると、「ビール職人」という言葉では言い表せない印象を受けました、なんと形容するのが正しいのでしょうか?
私たちは「ビール職人」というよりも「ビール酵母のお世話係」と形容していただくのが正しいと思っています。やはりビール作りではビール酵母が一番活躍するものなんです。主役のビール酵母に快適に働いてもらうために、醸造所内の衛生環境を保つための清掃も我々ビール製造の製造スタッフの大切な業務のうちの一つ。スタッフは愚痴一つこぼさず取り組んでくれています。おかげでいい商品づくりもできていて、「ビール酵母のお世話係」と呼ばれるのにふさわしい仕事をしてくれていると思います。
どのような流れで社長になられたのですか?
もともとは中途採用で入った一社員でした。正直に言いますと、その頃の業績や評判は本当にひどく、累積赤字を回収することもままならなかった。そしてある日突然、母体の会社にビール事業の閉鎖を通告されました。その頃は新技術を学んだり、ビール自体の味が改善されるなど良い変化も起きていて、「これから絶対に成功できるぞ!」と手応えも感じていたので「この事業をなんとか残せないか」と思い、そのために動き始めました。まず、地元の企業でビール事業を買い取ってくれる会社を必死で探しましたが、手をあげてくれるところが見つからない。ならば「自分でなんとかしよう」と考えて、EBO(Employee Buy-Out)と呼ばれる“従業員による事業の買収”をおこなうことを決めました。要するに、私が自分でビール事業を買収しようと考えたんですね。
従業員が企業買収をするのは難しいことですよね?
これは大変なチャレンジでした。しかし当時一緒に働いていた5人の社員が背中を押してくれまして、3ヶ月におよぶ前会社との長い交渉の結果、なんとか当時の社長の理解を得て事業を購入できる素地は整いました。ですが、そもそも事業を買う資金がない状況でした。融資を受けるために色んな金融機関にかけあいましたが、「担保がないのでダメだ」と門前払いを受け続けました。
どうやって融資を受けることができたのですか?
当時、私は地域への貢献活動にも従事していて、それを見てくれていた方が金融機関に働きかけてくださったんです。そのおかげで金融機関に事業計画や意気込みをプレゼンできるようになりました。結果、地元の銀行から融資を獲得することに成功し、本当の意味で事業をスタートすることができました。地元の方々からもSNSなどを通して応援していただき、延岡発、世界に発信する企業としての大きな期待を肌で感じていました。
社長になってからは順風満帆でしたか?
全くそんなことはありません。事業をスタートした直後に、宮崎県では口蹄疫、新燃岳の噴火、鳥インフルエンザが立て続けに発生し、第一次産業と観光産業に大打撃を受けました。我々の商品は観光業との関連性が高かったので、それまで宮崎県内で持っていた売上げがみるみる下降線を辿っていきました。独立して間もないころで、私も相当焦りましたね。「とにかく手を打たないといけない」と考えて、まずは東京や大阪で営業活動を必死に行いました。以前は会社方針で県外への営業はしていなかったのですが、ビジネスホテルを転々としながら活動した結果、なんとか新しい販路を確保して目減りした売上げをカバーしました。
大ピンチを乗り越えて現在の状況にまで成長した秘訣は何でしょうか?
それは「地域への恩返し」を会社の使命と考えたことに尽きます。まずは地元産の副原料使用がコンセプトの「宮崎農援」プロジェクトをスタートさせて、地元農家の協力を得ながら成功させることができました。また海外の販路開拓にも力を入れ、「栗黒」など宮崎県産のユニークな副原料を使ったオリジナル商品を開発・販売。ブランディングという側面も強化していきました。商品開発だけでなく設備投資でも同様です。ビール醸造用タンクは海外や県外に発注するのが常でしたが、延岡は工業レベルが高いことはわかっていた。そこで6キロリットルも貯蔵できる大型タンクの製造を地元企業にお願いしました。もちろんノウハウはない状況でしたが、開発段階から一緒に研究し、ようやく完成した。この技術は発注先のノウハウとしても蓄積されて、今やその会社の強みにもなっています。これはとても嬉しかったですね。
数多くの賞を獲得されていますが、出品にはどんな目的がありますか?
私が社長に就任する前のひでじビールのイメージは惨憺たるものでした。地元の人たちの負のイメージを払拭し、生まれ変ったひでじビールの品質を知ってもらうためのイメージ戦略として、「新しいひでじビールは国外・県外で評価されている」という既成事実を作ろうと思ったんです。国内・海外のコンペティションに出品して賞を獲得することで、ひでじビールブランドの信頼アップを狙いました。おかげさまで、日本各地のコンペティションを通過した地ビールのみが出品できる「ビアフェス」において、4地域の会場で全て1位を獲得するまでに至りました。これは消費者の生声がもっとも反映される賞なので、凄く嬉しかった。社員皆も一緒に喜んでくれて、賞を獲得することの重要性を非常に感じました。
これからやってみたいチャレンジはどんなことですか?
今は「完全な宮崎県産原料100%のビールを造る」という10年前からの目標に向けて進んでいる最中です。主原料の麦芽やホップは海外産に頼らざるを得なかったのですが、この数年、全てを宮崎県産に切り替えるための研究開発に注力しています。今では麦芽の自社開発に成功し、冷涼な気候でしか栽培が困難と言われるホップも、ここ宮崎で栽培しようと取り組んでいます。今年初めて、ホップの実を収穫できるまでになりました。この勢いで、将来的には全て地元産に切り替えていきたい。今後も夢の実現に向けて研究を重ねながら進めていこうと思っています。
ひでじビールさんの最終目標を教えていただけますか?
私たちはたまたま地ビール作りに携わっていますが、これは地元宮崎・延岡の素晴らしさを県外や海外に向けて発信する一つのツールだと思っています。ひでじビールの最終目標は、「九州に足を踏み入れたら、宮崎のひでじビールを飲まないと」と皆に思ってもらえるような文化を作ること。まだまだ程遠い夢ですけどね。
最後になりますが、挑戦するために最も大事なものとは何だと思いますか?
まずは、社員全員が笑顔でいること。そして困難を困難だと思わずに、常に前向きな姿勢で楽しみながら仕事をすること。それが必須条件だと思っています。
宮崎ひでじビール株式会社
ひでじビールは九州・宮崎のクラフトビール。宮崎の北部、祖母傾山国定公園 行縢山(むかばき山)の麓、自然豊かな環境で、上質な天然水とフレッシュな自家培養酵母を使用した商品造りを行っています。 Think Global,Brew Local.柔軟な発想力と高い品質の追及。地方から世界を見据え、「地域と職人の手」で醸すひでじならではの味づくり。そして何より、CRAFT BEER DRINKABILITY. 単に「飲みやすさ」だけでなく「体が自然に求めてしまう!何杯飲んでも美味しいビール。」地域への想いと挑戦、食文化の創出という浪漫。より高みへ!太陽のような情熱で挑み続ける。私たちが目指すのは「グローカル・クラフトビール・ブルワリー」です。