私たちがいつも見つめているのは、技術を生み出し、
まだないものを生み出そうとしてチャレンジし続ける人たち。
ここでは、そんな人たちのSTORYをご紹介します。
幸呼来(さっこら)Japanさんはどのようなことをしている会社でしょうか?
「裂き織」という生地を作って、それを材料とする商品を製造・販売している会社です。また、盛岡市内に63拠点ある、障がいを持つ方々の自立・就労支援のための「障害福祉サービス就労継続支援事業所」の一つとして活動させていただいています。
「裂き織」とは、一体どのようなものなのでしょうか?
「裂き織」は、古来寒冷地で綿の産出が少なく、貴重だった綿布のリサイクルに始まる東北地方の伝統工芸で、衣類や布団などの布を、細く裂いてひも状にし、ねじりながら織り上げるものです。古くなった布を使い切る、モノを大事にするという文化の中で裂き織が生活織物として発展していきましたが、最近は繊維製品が手に入りやすくなり、裂き織自体は少なくなってきました。
衰退している「裂き織」に着目したきっかけは何だったのですか?
事業を立ち上げる前は住宅リフォーム会社に勤めてバリアフリーの商材を扱っていたのですが、そこで障がいがある人たちの就労に関する勉強会に参加したんです。支援学校での研修にも行ったんですが、陶芸やクリーニング、印刷技術などの高度な訓練が行われていて、その中に裂き織の技術訓練もありました。生徒さんが織った裂き織は、お土産物屋さんなどで売られているものと比べて、織りが緻密な上に綺麗でとてもカラフル。それを見て、岩手には素晴らしい文化があるということ。そして、素晴らしい技術でクオリティの高い裂き織を制作できる、障がいを持たれている人たちがいるということを、もっといろんな人に知ってほしいと思ったんです。
現在の「幸呼来Japan」を起業されるまでにどのような経緯があったのですか?
元々は専業主婦だったんですが、学習塾を開いたり、学校の教師を務めたり、教育関係の仕事に携わっていました。そんな経験をした後、ご縁があって住宅リフォームの会社で働くことになりました。まったくの未経験でしたがリフォーム業界の専門用語などを必死で覚えて、色んな資格も取得しました。そして入社1年半くらいの時、在籍していたリフォーム会社の出張所の所長から「独立するから手伝ってくれないか?」と言われたんです。その出張所には所長と私の2人しかいないので、独立すると出張所自体が閉鎖になってしまうため、付いていくことにしました。さらに「立ち上げメンバーが役員じゃないと、後々、複雑だから役員になっておけ」ということで、いきなり役員まで任されちゃって(笑)。最終的には専務にまでなりました。
様々な決断と挑戦をされていますが、それは石頭さんの性格でしょうか?
そうですね。現状維持よりも変化することに、一か八かチャレンジしたい。そのおかげで裂き織を知るきっかけになった支援学校の研修にも行けたわけです。そして勤務していた時も盛岡市の助成金を活用し「幸呼来Japan」の前身とも言える「裂き織事業部」を社内で立ち上げることができました。だからそのチャレンジがなければ、今の「幸呼来Japan」はないということになりますね。
事業化する上で、古い布を使う裂き織は原材料の確保が難しかったのではないでしょうか?
その通りです。そのため盛岡の伝統的な夏祭り「盛岡さんさ踊り」で使われた浴衣を再利用できないか考えました。「さんさ踊り」では、地域の企業や学校などか団体ごとにお揃いの浴衣を着て踊るのですが、前の年と違う柄の浴衣を着ている企業さんもいて「古い浴衣はどうなっているんだろう?」と思い、聞いてみたんです。すると、やはり古い浴衣が残っていました。会社のロゴが入っている浴衣を一般ごみに捨てるのは忍びなく、古いものも倉庫にストックしてあったんです。こうして古い浴衣をはじめ、他に余った布などもいただき原材料を確保しました。また、同時に裂き織のこともPRして回り、様々な会社様に知ってもらうことにもつながりました。
専務になった会社を辞めてまで、独立したきっかけは何だったのですか?
住宅リフォーム会社の裂き織事業部が立ち上がり、半年後に製品もできて、販売会も行わせていただきました。そんな軌道に乗り始めていた時に東日本大震災が起こったんです。その影響で事業の母体である会社の経営見通しが厳しくなりました。そんな状況ですから「裂き織事業部は閉めて、本業に専念してくれ。もし裂き織事業を優先したいなら会社では面倒みれないよ」と社長から言われたことがきっかけでした。
独立に際して、迷いはなかったのですか?
なかったです。実は震災の翌日、ほとんどの社員が出社してこなかったんですが、私と社長、そして、裂き織事業部の障がいを持った女子社員だけが会社に来たんです。その子には前日、「お仕事できる状況じゃないから、 連絡するまでは出てこなくてもいいからね。」と言ったんですが、会社が心配で心配でしょうがなくて出てきたみたいなんです。彼女の仕事に対する想いを考えると、裂き織事業を辞めるわけにはいかない。さらに助成金の申請時に大変お世話になった盛岡市の担当者の方が、震災の2日後くらいに亡くなってるんです。それでなおさら、辞めてはならないと考えたんです。
事業が成長する上で、転換点と言えるような出来事はありましたか?
起業して5か月のとき、東京ビッグサイトでやっていた「東京インターナショナルギフトショー」に出展する機会がありました。そこで、大手通販会社の担当の方から声がかかって、取引できるようになりました。大手企業との初取引だったんですが、それが転換点だったと思います。この経験はとても勉強になりましたね。
具体的にどのあたりが勉強になったのですか?
一番は発注量の多さ。今までの3倍の生産量でした。当然、そんなに大量に作った経験がないので、納期が遅れて大変ご迷惑をかけてしまいました。でも結果的にその時の失敗した経験が、後の商品開発や品質・納期管理の徹底につながり、スタッフ共々すごく学ぶことができました。
失敗したからこそ今があるわけですね。ところで最近、話題になった商品があるそうですが?
そうなんです!2017年6月に発売された大手スポーツメーカーとのコラボで実現したシューズですね。アメリカ・ヨーロッパ・中国・韓国・日本の直営店とWEBで3モデルが販売されました。新聞各社も取材にいらしていただき、テレビにも大きく取り上げていただきました。おかげさまでメーカーの国内ウェブサイトで0時に発売開始し、ウェブサイト分はその日の午前中のうちにすぐ完売したんですよ!これは何より嬉しかったですね。
そのコラボレーションはどのような経緯で実現したのですか?
なんと、アメリカで勤務されている先方の日本人デザイナーから直接、突然メールが届きました。「日本の伝統工芸に関心があり、裂き織とコラボして商品開発をしていきたいんです。御社のホームページを見て、共感しました。一緒に商品作りをしませんか?」と。「ホントにあの大手からのメール?デザイナーが直接メールしてくるものなの?」と最初は半信半疑でした。でも、本当だったんです。
大企業のデザイナーから直接、オファーが来たのは驚きですね。この製品を作る際、印象に残っていることはありますか?
メーカーのデザイナーさんが視察に来られたときに、チェックパターンの裂き織をとても気に入っていただき、そのパターンで製作することにすぐに決まりました。さらに、それとは別の裂き織を見て、「絶対、これでも作りたい!」と言っていただいて。結果、当初予定してなかったデザインが一足分増えるという、とても嬉しい変更もありました。
現在、どのような企業と取引されているんですか?
大手通販会社や服飾ブランド、大手デニム生地メーカー、百貨店などにも置いてある麻織物の老舗とも取引させてもらっています。
現在、チカラを注いでいる商品や事業はどんなものですか?
企業で余っている生地を“企業残反”というのですが、それを裂き織に活用して付加価値をつけて商品化し、生地を提供する企業さんにもメリットを生み出す「さっこらプロジェクト」を進めています。昨今、アパレルメーカーやファブリックメーカーさん、色々な企業で余っている生地が結構あるんです。そんな企業と、どんどん取引を増やして、盛岡近隣にある「障害福祉サービス事業所」にもお手伝いしてもらい、雇用を増やして利益を還元する。裂き織サークルも含め地域ネットワークを活性化して、ゆくゆくは盛岡が「裂き織の産地」として認知されるようにしていきたいです。
今後チャレンジしたい、会社としての「夢」はありますか?
幸呼来Japanを世界に通じるブランドにしたいです。そのために社名にも「Japan」を入れてるんです。まずはパリコレにも出展するようなアパレルブランドとコラボして、商品化する。ゆくゆくは、世界中の誰もが「裂き織」と聞けば「盛岡」を連想できるようにしていきたいんです。
最後になりますが、挑戦するために最も大事なものとは何だと思いますか?
「なんとかなるさ!やってみよう」と考えることですね。私の人生も専業主婦からピアノ教室や学習塾を開いて、教師をやって、住宅リフォーム会社に行って、専務を経て、独立して、今がある。その都度「もし失敗したら?」と迷っていたら、できませんでした。とにかくやってみて失敗して学んで、本当に経験と勉強の連続。上手くいくかいかないかなんて、やってみないと分からないですから。それだけじゃなくて、上手くいかせるためには、やりたいことを周りに伝え続けることも大事かもしれません。盛岡市からの助成金も東京ビッグサイトのギフトショーも、日頃から周りに発信していたことで、人づてに教えてもらったり、声をかけていただいたりして実現したわけですから。「人との出会いに感謝し大切にする」「やりたいことを周りに発信する」この2つが大事なことだと思います。
株式会社 幸呼来Japan
木綿が貴重だった時代に生まれた「裂き織」には「もったいない」と思う気持ち、モノを愛おしむ気持ちも一緒に織り込まれています。眠ったままの布と、技術を活かす場のなかった障がい者たち、そして細々と受け継がれる東北の伝統工芸。どれも「埋もれたままではもったいない」ものばかりです。裂き織によってそれぞれに光を当て、社会の中で活かされるようお手伝いをしたい。私たちの活動は、それを実現する大きな可能性を持っていると信じております。
「幸呼来」の社名の由来
盛岡の夏祭りさんさ踊りの掛け声「さっこら~ちょいわやっせ」からいただいております。意味は、幸せは呼ぶと来るんだよ。幸せ来い来い。です。震災後の大変な状況の中で、日本のみんなに幸せが来るように願って付けました。