“まだ誰も作ったことのない ラーメンを、生み出していく。”
株式会社グランキュイジーヌ | 取締役会長 竹田 敬介さん

YAYOI USER'S CHALLENGE STORY

私たちがいつも見つめているのは、技術を生み出し、
まだないものを生み出そうとしてチャレンジし続ける人たち。
ここでは、そんな人たちのSTORYをご紹介します。

まずは自分が「面白い!」と思えるか。飲食業には、その可能性が無限にある。

株式会社グランキュイジーヌさんはどのようなことをしている会社でしょうか?

メインはラーメン店の経営ですね。他にもフランチャイズ事業や海外では、シンガポールで9店舗のラーメン専門店を中心に、天丼、餃子などの専門店、BARも出店しています。直近では、マレーシアでムスリムの方向け、注目のハラルフードに特化した天丼専門店もオープン予定です。

様々なジャンルの専門店や一店舗ごとに味を変えるラーメン業態を仕掛けるメリットは何ですか?

違う業態やコンセプトの店をどんどん増やしていくためには、次に何をやるかと常に考えなければいけない。でも、アイデアを考えることで自分だけでなく一緒に働いている仲間たちのモチベーションにも繋がりますね。また一つの味と店にこだわりすぎると飽きられた時のリスクがあるので、リスクヘッジにもなります。一つにこだわって、お客さまに飽きられたら全部がダメになる。でも偉そうにリスクヘッジとか言っていますが、本当は世の中にないサービスや商品を「自分が形にしたい」ということが先ですね(笑)。そのためには、自分自身が面白いと思えることが大切だと思っています。そして海外展開においては、専門店から日本の食文化を伝えていきたいという気持ちも強いんです。

専門店から日本の食文化を伝えるというのは具体的にどういうことでしょうか?

例えば天丼や鉄板焼き、ハンバーグ、餃子の専門店は日本では普通にあるものですが、シンガポールにはないんですよ。ハンバーグをパンで挟んで食べるハンバーガーショップはあるけど、ハンバーグとご飯を、手軽に箸で食べられるようなお店はない。上品な和食というより、もっと身近な日本の食文化を伝えたいんです。その甲斐あってか、ウチが出店してから、シンガポールに餃子や天丼の専門店が沢山できましたね(笑)。

特に、ラーメン店という業態に力を入れている理由は何ですか?

一つのもので1時間の行列ができるのって、テーマパークぐらいしかないじゃないですか(笑)。それを1000円以下の飲食サービスで実現できるというのが、すごく魅力的でした。あと、ラーメンはアイデア次第、振り幅が大きいのも魅力です。中華麺にかん水が入って、あとスープがあれば、ラーメン。それだけ守っていれば、丼1杯の中でできる事は限りなくあるので、すごく楽しい。そういう可能性を感じていたので、1店舗目をオープンする前から、店舗ごとに味は全部変えてやろうと思っていました。

そのアイデアはいつ、どのように考えているのですか?

いつも考えていますね。ふぐダシラーメンも、鴨ラーメン専門店も、船橋にオープンしたピスタチオやクルミなど7つのナッツの特徴を活かした担々麺専門店も、常に意識している「まだ誰も作っていない、世の中にないラーメンを作りたい」という発想から生まれました。

丼1杯でお客さまに判断される難しいジャンル。ラーメン業態の厳しさを知った創業時代。

飲食業界を目指そうと思ったきっかけは何ですか?

16歳で料理の世界に入りました。正直、飲食をどうしてもやりたいと思っていたわけではなく、料理以外にできることがなかったというのが本音です。さらに住むところもついて、ご飯も食べられるというのも魅力的でしたね。そんな時にテレビで著名なフレンチシェフに密着した番組を見て、衝撃を受けました。「どうやって作るんだろう?」と本気で思い、これはフレンチの世界に入るしかない、と決意したんです。それから12年くらい修行しました。フレンチといっても最初はホテルの洋食部門、その後、渋谷の老舗フレンチ店という経歴です。そこでは自分の常識にははまらない経験もできて、とても面白かった。

では当然、修行を経てフレンチシェフとして独立されたのですか?

いや、当時はバブル景気の終盤で、どこもかしこも「フレンチ、フレンチ」と流行っていましたが、バブルがはじけたらどんどん閉店したんですよ。生き残ったのは超一流店くらい。
そこで、27歳頃で独立を考えた時には、居酒屋を選びました。

フレンチから突然、居酒屋に路線変更されたのですか?

はい。正直、はじめは「居酒屋なんて」とナメていたんです。でも独立を考え出した頃、たまたま日本橋で入った居酒屋がすごく良かった。満足できる品質の料理が手頃な価格で食べられて、メニューも多く、お客さまの層もすごく広い。フレンチとは異なる居酒屋の経営に興味を持ったんです。

居酒屋経営のノウハウはどのように学ばれたのですか?

もちろん居酒屋の経営のことは全然分からないので、独立する前に、まず日本橋で入った居酒屋を運営する外食チェーンに就職しました。商品メニューの開発に4年ほど携わり、新店立ち上げにも参加しました。ちょうど会社も急成長していた時期に重なり、すごく勉強させてもらいました。

その時学んだことで、今も活かされている部分はどんなことですか?

一番は、徹底的なマニュアル化ですね。新メニューを考える時、まずは味を重視して原価を考えずに試作します。その味ができてから原価に落とし込んで、効率を考えていく流れです。チェーンの店舗で調理場に立つ人たちは技量の幅が広いので、調理工程を簡単にして、調味料の配分もすべて管理する。目分量は一切なし。そうすると味もバラツキがなく、食品や調味料のロスも減らせます。その時のマニュアル化するという意識は事業を拡大するうえでとても役立っています。

それから、どれくらいで独立されるのですか?

7年後くらいです。「和食・炭火焼 美味川柳 炭香(ビミセンリュウタンカ)」という、炭がコンセプトの居酒屋を神田に出店しましたが、苦労しました。独立するためにお金を借りるには物件がなければいけない。でも物件を借りてから融資を申し込んでも、借りられない可能性だってある。結局物件には1か月分の保証金を入れて、融資も無事受けられたんですが、ドキドキでした。オープン時には手元にお金はほとんど残ってなかった。それでも店頭POPなどでお客さまを呼び込む工夫をして、なんとか軌道に乗せました。翌年には「絶対、ラーメン屋は失敗しないから」と信じて、ラーメン業態開店に向けて動き出したんです。けど結果、失敗しちゃうんですけど。

ラーメン店での失敗とはどのようなものだったのですか?

最初のラーメンは竹炭を使った黒味噌ラーメン。器は赤くして、スープは黒、白い生クリームでアクセントをつけてインパクトを狙いました。おかげでオープン1か月は、お客さまがたくさん来てくれましたが、ラーメンの味は80点くらいの出来だったんですよ。ボクらとしてはお客さまの反応を見て徐々に100点の美味しいラーメンに仕上げるつもりでした。でも一度、80点のラーメンを食べた人は二度と来てくれないんですね。調子が良かったのは最初だけで、お店は赤字続き。失敗してはじめてラーメン店という業態の難しさに気づきました。フレンチや居酒屋は何品かある料理のうち1つを気に入れば、「美味しい店」として記憶に残りますが、ラーメンはたった1杯でお客さまと勝負しなきゃいけないんです。チャーシューや味玉がどれだけ美味しくても、「あそこの味玉、美味いから行こうぜ」とはならない。この1杯のラーメンが好きか?嫌いか?それだけなんです。

それから、どのようにお店を立て直したのですか?

根本のスープの改良に励んだ結果、自信の持てる美味しいラーメンはできました。しかしお客さまには「80点」の悪い印象があるから戻ってきてくれない。困った挙句、製麺屋さんに相談して、「ラーメンフリークが聞くネットラジオの専門番組があるからゲストに出たら?」とアドバイスをもらいました。出演すると、ラーメンフリークのブログなどで話題になり、TVの情報番組にも取材してもらえたんです。いくつかのラーメン店の中で1位にも選ばれ、スタジオに直接行って、黒味噌ラーメンを作れることになりました。放送終了後、店に戻った頃には大行列ができていましたね。

その後、斬新なラーメン店を次々と開店されるわけですか?

そうですね。2店舗目は海老そばの業態「二代目海老そばけいすけ」でした。その時は開店から、100点のラーメンを完成させました。おかげさまで、すぐマスコミに取り上げてもらい、すべてが順調だったんですが、トマトを使ったラーメンで見事にすっころんでしまいました。当時3店舗あった店の利益をすべて食いつぶすほどの赤字でした。

斬新でヒットしそうな気もしますが、失敗の原因は何だったのですか?

今なら似たコンセプトのラーメンもあるぐらいですから、受け入れられたかもしれません。でも出店した時期は2007年、早かったんでしょうね。そこから学んだのは、商品開発のポイントは一言で言うと“半歩先を行く”です。一歩先は早すぎて、お客さまに興味を持ってもらえない。お客さまが「こんなのあったらいいのになー」と少しでも思っている発想が“半歩先”。トマトのラーメンはまさに、一歩先の発想でした。この失敗は商品開発をする上で非常に勉強になりました。

ラーメン業態でシンガポール進出!海老そばでの大失敗を挽回した8.5坪の小さな店

いよいよ海外進出、シンガポールに出店されるわけですが、その経緯はどのようなものだったのですか?

商業ビルを展開する企業さんから「シンガポールで海老そばを出店して欲しい」とお話をいただいたのがきっかけです。シンガポールには「プロウンミー」という海老を使った麺があるので、ウチの海老そばも受け入れられるだろうと思いました。実際、現地でプロウンミーを食べても海老の匂いのするあっさりしたスープだけという印象で、美味しいと思えなかった。これは大ヒット間違いなしだと思いました。

海外進出の1店舗目から順調に進みはじめたということですか?

いや、それがまったく……現地のプロウンミーは海老が丸ごと入っているのに、5ドル以下で食べられるお手頃な食べ物。それが、ウチは海老の味がするスープというだけで14ドルもする。現地の人からすると、ただ高くて海老の入っていないプロウンミーです。ヒットするわけないですよね。海老を使った麺があるから、海老そばでいけると安易に考えてしまっていた。リサーチ不足からくる失敗でしたね。

海外進出で失敗すると挽回するのは大変ではないですか?

はい。挽回するために、まずは小さい店から地道に「けいすけ」のブランディングをすることから始めました。500万円くらいでオープンできる8.5坪の店舗を借り、現地で受け入れられているとんこつラーメンのお店「豚骨王」をオープン。昼のみの営業で提供数を制限し、お客さまに期待感を持ってもらう戦術をとりました。それを続けている内に行列ができる店だという評判を呼んだのです。そして海老そばのお店では、とんこつ、醤油や塩、味噌など全ての味を選べる、他にはない「けいすけ」らしいお店に業態を変更。「豚骨王」の評判も好影響してこちらの数字も好転、出店から4年後には黒字に回復することができたんです。

今後について

海外進出も順調な中で、今後の新たな目標はありますか?

3月にオーストラリア出店を終え、フィリピンのマニラでの出店も決まっています。そして、短期的な最大の目標はニューヨークへの出店ですね。あの街には他にはないパワーがあるので、ワクワクします。今は世界的にとんこつラーメンブームなのですが、あの街ではとんこつではない普通の透き通ったスープのラーメンも流行っているんですよ。良いもの、美味しいものを正当に受け入れる土壌があるんです。それが、ニューヨークという街の凄さだと思います。

国内での目標やビジョンはありますか?

社内独立(ベンチャー)を増やすことですね。回収の終わっている店舗の店長にはどんどん独立して行って欲しいです。会社的には店舗使用料として収益が出るというメリットがあるのはもちろんですが、それだけではなくて、やっぱり独立できる環境だとスタッフのモチベーションが全然違うんですよ。当たり前ですが、頑張れば頑張るほど実入りになりますからね。売上も格段に上がるので、スタッフにはどんどん店を譲っていきたいです。

最後になりますが、挑戦するために最も大事なものとは何だと思いますか?

松下幸之助さんの「失敗は失敗のままでやめるから失敗になる。成功するまでやり続ければ、それは失敗ではなくなる」という言葉をいつも大事にしています。黒味噌ラーメン、トマトラーメン、シンガポール進出で失敗しても、常に新しいアイデアの実現に挑戦し続ける。止まっちゃいけない。
スピードは緩めて考えても良いんです。少しずつでも確実に、成功を信じて、歩み続けることが大事だと思います。

株式会社グランキュイジーヌ

お客さまにはもちろん、取引先、地元住民の方に「あなたの会社があって良かった!」と思っていただける会社づくり。商品及び人を通じ、あらゆるお客さまに喜びと感動を創造し提供します。いつも違ったオンリーワン商品で創作性と独自性の強いお店を生み出し、常に新しい商品づくりに挑戦し、提案し続ける姿勢が“けいすけ”らしさであり、今後も“けいすけ”らしさで世界に日本食を伝えていきたい。

株式会社グランキュイジーヌ挑戦を支える弥生の製品

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1日が、あと1時間 かったなら、何ができるだろう。新しいアイデアを考えられるかもしれない。新しい事業をカタチにできるかもしれない。そう。忙しい日々の中で、ほんの少し時間が作れるだけで、考えることも、やれることも、きっと増えるはず。だからこそ、私たち弥生は変わります。経理をはじめさまざまな業務をカンタンに。財務状況をリアルタイムに。あなたの経営を、ひとつずつサポートしていきます。それが、あなたの自由な時間を生むきっかけになると思うから。さあ、もう一歩、前に踏み出そう。会社を興したときのワクワクした気持ちを思い出そう。夢中になっている時のドキドキを追いかけよう。やりたいことをやる人が、夢を叶えるはずだから。挑む自由を、あなたに。