“鯖に光をあて、日本のビジネスの常識を変える。”
株式会社 鯖や | 代表取締役 右田 孝宣さん

YAYOI USER'S CHALLENGE STORY

私たちがいつも見つめているのは、技術を生み出し、
まだないものを生み出そうとしてチャレンジし続ける人たち。
ここでは、そんな人たちのSTORYをご紹介します。

鯖を育てるところから売るところまでを担当する'鯖のSPA'

鯖やさんはどのようなことをしている会社でしょうか?

一言でいうと、鯖だけを売っている会社です。いわば“鯖のSPA(製造小売業)”と言ったところでしょうか。仕事としては、製造販売や鯖料理専門の飲食店を展開しています。また、グループとして鯖の養殖も手がけています。鯖を育てるところから売るところまで、一気通貫で携わっています。

商品を「鯖」に絞った理由を教えてください。

きっかけは、居酒屋を経営していた時に妻から言われた一言です。「あなたの料理で唯一美味しいのは鯖寿司だから、鯖一本で頑張ってみたら?」というアドバイスがあり、鯖一本でビジネスをやってみようと考えました。もちろん、人気のマグロや土用の丑の日に食べる鰻など商売をする上で、他の魚の誘惑はありましたが、妻の言葉を信じ、鯖一本でやると決めて、今では、鯖のある生活を提供するのは私たちの“ミッション”だと思っています。

鯖一本にしたことで、何かメリットがあったのでしょうか?

これまでその手の質問には、“他の所ではなかなか扱わない魚なので、注目されやすいから”と答えていたんです。でも、会社を創業して11年目になった今、単一のマーケットで浮気をせずに、ここまで鯖一本できたことで、鯖を扱う業界のマーケットリーダーになりつつあるのかな、と。そうなってくると、色々な情報が集まってくるんです。このことが一番のメリットだと思います。

飛び込みで入った海外の寿司屋で働き、'ナンバー2'まで上り詰める

右田さんが、会社を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

高校を卒業して、まず魚屋に就職しました。でも、実は19歳まで魚を一切食べられなかったんですよ。幼少期に食べた母の魚料理が驚くほど不味かったんです(笑)。だから、魚が大嫌いで、見るのも嫌だったのですが、友人から「俺の顔を立てて、一緒に働いてくれ」と強く誘いを受け、魚屋で働くことになったんです。

魚嫌いなのに今まで「魚を扱う業界」に居続けられたのは?

その魚屋である時、飲食店にデリバリーしたんです。そこの店主さんが、まかないの「カレイの煮付け」をご馳走してくれました。その煮付けが衝撃を受けるほど美味しくて…。「こんなに美味しい魚があるんですね!」と感激すると、「魚屋なのに、今までどんな魚食べてきたんだ!」と言われちゃいました(笑)。そこからですね、魚の魅力にハマったのは。母にも美味しい魚料理の作り方を教えてあげました(笑)。

魚の魅力に気付き、今の会社を立ち上げたということですか?

いえ、その後もしばらく魚屋で勤めていたのですが、23歳の時、自分の将来に疑問を感じたことがあったんです。部下の親類が貿易の仕事をしていたこともあり、海外を強く意識するようになって、英語もしゃべれないのにワーキングホリデーでオーストラリアに行くことを決めました。
バックパックを担いで3か月間くらいオーストラリア一周して、何とか英語の意思疎通までできるようになってから、シドニーの回転寿司屋がたまたま求人募集をしていたので、飛び込みで就職したんです。

回転寿司屋では、どのような仕事をされていたんですか?

工場で切られたネタをシャリの上にのせる、という単純作業。就職して1~2か月が経ち“自分のやりたかったことはこれなのか?”などと考えていると、たまたま会社の社長と会う機会ができたんです。その時に、本当は2回くらいしか捌いたことがなかったのですが、「日本でマグロを捌いていた」、さらに「魚は何でも捌ける」と配置換えを直訴したんです。そうしたら「お前面白いな」と言われて、そのまま本部に転籍することになりました。
社長のカバン持ちから始めましたが、会社は順調に拡大。最終的にはナンバー2になりました。そして26歳の時に、かなりの好条件でメルボルンの支店を任せると言われたのですが、それを断って日本に帰ってきました。

好条件を断って、日本に帰ってきた理由は何ですか?

当時、“日本でやり残したことはないか?”という思いが芽生えていたこと、またビジネス感覚が素晴らしい社長への憧れが、“この人を超えたい、負けたくない”という気持ちに変わっていたからです。

倒産の危機から、世の中が求めているものを鯖でどう提供できるかを考えて誕生した鯖料理専門店

日本に戻ってきて、どのような仕事をされていたんですか?

日本ではFAXの販売や生命保険の外交員、大手通信会社の飛び込み営業などに挑戦しました。でも、失敗の連続。そうこうしているうちに子供も2人できて、一家の大黒柱としてキチンとしなくてはと思ったんです。改めて原点に立ち返ろうと、30歳の時、魚を扱う居酒屋を妻と2人で始めました。
2年ほど経った後、先ほども言いましたが、妻から「鯖一本でやったら?」と言われて立ち上げた会社が“鯖や”なんです。

「鯖や」を立ち上げてからは、すぐ軌道に乗ったのですか?

いえ、全く。まずは、 “サバイク”という鯖寿司をデリバリーするサービスを始めて、“1本買ったら1本プレゼント”という“謎のキャンペーン”を展開していました。ですが、ちゃんと損益計算をしていなかったので、赤字続きになってしまって当然失敗(笑)。デリバリーを辞めてスーパーの軒先や催事場を転々として鯖の販売をしたのですが、こちらも上手く行きませんでしたね。

なるほど、経営はなかなか軌道に乗らなかったんですね。

ピンチの連続だったんです。一番大きなピンチは2013年2月の時で、預金残高がたった15,002円になって倒産の危機に陥ったんです。金融機関から追加の融資も無くなり、いよいよダメかとなった時に、副社長でもある双子の弟から「お前が人事していると人は辞めるし、金は無くなるし最悪だ。鯖だけを見て、お前の発想力で皆が楽しくなるようなことを考えろ」と言われました。
私は面白いことを考え出して、それをコンテンツとして話題にさせることが得意分野なんです。創業してビジネスが軌道に乗りそうな時も、その発想力が功を奏して、たくさんのメディアにも取り上げてもらえた。「何やってる会社なの?」と思ってもらって、商品をお客さまの口に入れてもらえれば、絶対にリピートしてもらえる自信もあった。私が改めてその領域に注力するようになると、半年くらい経って徐々に事態が好転し出したんです。
そして同時にこのピンチを救ってくれたのが、豊中市の商工会議所の方でした。

どのようにしてピンチを救われたのですか?

この倒産危機で、当時の税理士から「リスケして、延命しましょう」と言われていました。ですが、「半年間延命したところで、一緒だ。それで社員に給料を払えず、取引先にお金も払えない状況で逃げる真似はしたくない。必要とされないのであれば潰れるし、このまま行く」と答えて、商工会議所の方に現状の相談と鯖への思いを聞いてもらったんです。そうしたら「こんな真っ直ぐな情熱を持った企業は、絶対潰すわけにはいかない」と、金融公庫の融資担当の方を紹介してもらいました。その方も内容を聞くなり、「普通なら絶対通らないです。でも、絶対通します」と言ってくれました。その方から当時の融資課長にアポを取ってもらい、「右田さん、人生を懸けて死ぬ気で5分間プレゼンしてください」と発破をかけられながら、プレゼンに臨みました。
プレゼンを終えると融資課長が、「この会社を応援しよう」と言ってくれたんです。融資先が倒産したら自分たちにバツが付くのに、「この会社に賭けて自分たちがバツになってもいい」とまで言ってくれて、支店長にも「皆がそこまで言うんだったら」と決済していただきました。熱意があれば、そして本当に必要とされる企業であればちゃんと生かされるんだな、と。そして、その機会をくれた鯖に恩返しをしようと決めました。
さらに、商工会議所の方が新たな資金調達方法として勧めてくれたのが“クラウドファンド”だったんです。同時期に経営者仲間からの「鯖料理専門店を作ってみたら?」というアドバイスもあり、すぐに “とろ鯖料理専門店 SABAR 1号店”のファンドをスタートさせました。

クラウドファンディングで、日本のビジネスの在り方も変わるはず

右田さんに、"クラウドファンド"がもたらしたことは何でしょうか?

2013年9月にファンドをスタートさせ、資金の1,788万円満額を約4か月で達成し、オープンにこぎつけました。つまり、クラウドファンドが“鯖料理専門店”という、これまでに世の中になかったものを成立させてくれたということです。秋になると秋鯖の旬がありますが、同じく秋サンマも出てきます。冬になると寒鯖というブランドがありますが、寒ブリも出てきます。鯖はいつもメジャーな魚の陰に隠れている中で、鯖だけの専門店なんて出来るわけがないという問題をクラウドファンドはクリアしてくれたんです。また、PRやマーケティングがクラウドファンドを通して世の中に認知されていっています。そういった意味でも、自分はクラウドファンドに人生を変えてもらったと思っています。

これまでの成功から、クラウドファンドの活用法について、
自信があるのではないでしょうか?

額で言うとまだ一番ではないでしょうが、クラウドファンドの3つの手法を組み合わせたという点で、“日本で一番クラウドファンドに成功している人間”と言えると思います。
現在、鯖や・SABARグループの他に、クラウドファンドで漁業の活性化を図る“クラウド漁業”という会社があるのですが、それらで3種類のクラウドファンドを活用しているんです。まず、“投資型クラウドファンド”では約1,000名の投資家から約4,000万円を集めています。次に“購入型のクラウドファンド”で約200人弱から約200万円を集めました。最後に“株式型クラウドファンド”では、今年の1月6日に約3,800万円集めました。合計で約1,600人の方から1億1,400万円の資金調達をしました。
特に“株式型クラウドファンド”に関して言えば、去年の7月に作った会社“クラウド漁業”はまだ一期の決算書も出ていないのに関わらず、4億2,000万円のバリュエーション(企業価値評価)が付いています。これは、3,800万円をわずか14分で集めたんです。目標金額2,000万円には3分で到達しました。このようなことは、日本における既存のビジネス概念を変えるものだと思っています。

日本のビジネスの概念を変えるとは、どういうことですか?

起業家たちが持っているビジネスモデルや可能性が、日本の既存の仕組みでは支援されづらい、という現実があります。まずは自分でバリバリ働いて、やっと金融機関からお金を貸してもらって、ちょっとずつ人が集まってモノができてなど、とにかくスピードが遅い。ですが、クラウドファンドは応援されれば、すぐにでも資金が集まります。このスピードの好影響は、既存のものと比較して何倍も何十倍も違うと思うんです。
日本の中小零細企業がやるべきことは、まずはファイナンスを学んで経営のスピードを上げること。次にPRを学び、そしてマーケティング力を身に付けないと生き残っていけません。それはこの鯖のビジネスを通して凄く考えさせられました。

今後のビジョンを教えてください。

“クラウド漁業”を、5年以内にIPO(株式公開)にしようと考えています。IPOにすれば、“日本で最高の成功モデル”になるんです。株式投資家とクラウドファンドで資金調達と信用を勝ち取って、そこから事業モデルのエンジンをかけて人が集まって、KPI(重要業績評価指標)を達成しつつ上場したら一番綺麗な形になると思うんです。

最後になりますが、挑戦するために最も大事なものとは何だと思いますか?

楽しむことです。楽しいことのメリットは周りが楽しくなって幸せになれることです。オーストラリアで仕事をした時に、現地の人々にとって一番大事なことは“家族”でした。その次が“プライベート”で、最後が“仕事”。一方、日本の経営者にとって一番は“仕事”です。次が“プライベート”で、“家族”は後回しなんです。“仕事”を本当に大事にしているのであれば、自ずと“家族”を大事にして、最後に“プライベート”の順なんじゃないかと思うんです。
創業当時、「楽しくなかったら辞めようね」という妻に誓った言葉を、今も守っています。

株式会社 鯖や

私たちは、サバのある生活伝道師としておいしく!楽しく!かっこよく!サバを食べ続けることができるサステナブルな未来を作っていきます。わたしたちに関わる人が笑顔になれる仕事をします。おいしいサバ、すてきなサービスで、お客様をハッピーに!スタッフ、生産者、取引先、みんながしっかり儲かって、笑顔が溢れる仕事場にしていきます!サバへの感謝を忘れず、サバにとっての幸せも考えます!

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