「生き物や社会的弱者を守りたい!」最適解を探して20年。ようやく福祉ファッション界で天命を得た。
- 起業時の課題
- 起業形態(個人/法人)の決定, 起業/法人成り関連手続き, 人材確保、維持、育成, バックオフィス業務, その他
航空自衛隊、クリスチャンディオール、シルク・ドゥ・ソレイユ。一見関連性がないように見えますが、「合同会社MONTESAINT(モンテサント)」代表の山中雅也さんは、「弱い立場の方々を守りたい」という一貫した想いから、こういったキャリアを歩まれました。
山中さんにお話を伺う中で、起業を志す方に役立つさまざまなヒントが見えてきました。
会社プロフィール
業種 | 芸能・音楽・エンタメ |
---|---|
事業継続年数(取材時) | 4年 |
起業時の年齢 | 40代 |
起業地域 | 東京都 |
起業時の従業員数 | 6人 |
起業時の資本金 | 600万円 |
話し手のプロフィール
- 会社名
- 合同会社MONTESAINT
- 代表
- 山中雅也
合同会社MONTESAINT代表社員
兵庫県出身。航空自衛隊在籍中、2001年9月11日、アメリカで起こった国際事件(いわゆる「9.11」)を機に、「もっと喜びを分かち合える世界にするには」と考えだす。ラスベガスのシルク・ドゥ・ソレイユのショーを見て、”これだ、感動だ!”と感銘を受け、エンターテイメントの世界へ。世界的ファッションブランドやシルク・ドゥ・ソレイユの企画運営に関わるが、左目を失明したことによりチーム化を決意。日常に美しさと楽しさをプラスする「教育xファッション」を実現するため起業。SDGsへの取り組みを物語にしたZoomanityShowをキッズモデルたちと共に行い、知り合うことの大切さを広めています。
目次
- ファッションに初めて触れた30歳
- 財産となったパリでの学び、出会い
- 念願のシルク・ドゥ・ソレイユへ!しかし・・・
- ファッション作品を実験的なアートとして展開
- 大きすぎた障壁が、法人化するきっかけに
- 乗り越えても乗り越えても現れる壁
ファッションに初めて触れた30歳
現在の事業内容を教えていただけますか?
山中:「合同会社MONTESAINT」では、自社の服を製作して売るのではなく、イベントやコレクションなどの依頼を受け、それぞれの趣旨に合った服を企画・製作しています。服そのものを売るのではなく、「ファッション」というツールによって、表現したい価値観を売っていくことを目的としています。
高校を卒業されてからファッションの専門学校に進学されたとか、そういったご経歴なのでしょうか?
山中:いえ、それが全く違います(笑)。「空が好き」ということと、「強くなりたい」「動物を守りたい」などの気持ちから、高校を卒業してから航空自衛隊に入隊しました。10年近く勤めましたね。
ところが、2001年の9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起こりましたよね。あの事件をきっかけに、「軍事力で世界を良くするのは難しい」と痛感しました。もともと、「世界を良くしたい」という気持ちがあって自衛隊に勤めていたのですが、日々の業務で自衛隊の活動によって世界を良くすることへの限界を感じていたところ、「9.11」がその気持ちに追い討ちをかけた感じでしたね。
ちょうどそのころ、「世界最高の劇団」と名高かったシルク・ドゥ・ソレイユがラスベガスにオープンし、観に行く機会がありました。ショーを観ている人たち、世界中から観にきている人たちが、言葉が通じないのにもかかわらずそのショーに感動して泣きながら抱き合っている姿を見て、「世界を変えるのはこれだ!エンタメだ!」と強烈に感じました。
そこで「軍事ではなく、エンターテイメントで世の中を良くしたい」という思いから航空自衛隊を退職することにしました。
すごい決断ですね。「もったいない」とは思いませんでしたか?
山中:いえ、そういう気持ちは全くなかったですね。ちょうど30歳になるころでしたが、思い残すことなく退職して、フランス・パリにファッションを学びに行くことに決めました。
シルク・ドゥ・ソレイユに関わることを目標に、ということですか?
山中:はい、裏方としてプロジェクトに関われれば良いなと思ったので、ファッションを学ぶことにしたんです。
もともと美しいことへのこだわりは強い方でした。
自衛隊に入ったときに、「服が人を作る」と言われました。最初はぶかぶかで全然似合わなかった自衛隊の制服が、徐々に鍛えられていった体に似合うようになっていって、その言葉を実感しました。だから、「服が人を作る」という考えはなんとなく念頭にありましたね。
財産となったパリでの学び、出会い
フランスでファッションの学校に行かれたのですね。
山中:そうですね。2年間学校で学びました。
不安はありませんでしたか?
山中:不安は全くありませんでしたね。英語ができたので最低限のコミュニケーションには困らなかったのですが、最初の3か月間はカルチャーショックなどもあって落ち込むこともありました。でも全てが楽しくて仕方なかったです。思いきりパリ生活を楽しんでいました。
学校はインターンを通じて学ぶスタイルでした。当時、クリスチャンディオールのコレクションのテーマが「アビエイター」、つまりパイロットだったんですね。そこでちょうどパイロットの経験があった私に白羽の矢が立ち、インターンとして採用してもらいました。
それはすごいご縁ですね。世界的ブランドであるクリスチャンディオールで学んだことについて教えてください。
山中:「プロ意識」ですね。物作りや世界観作りにかけるプロ意識は皆持っていて、自発的に動いている姿を見て感銘を受けました。今でもそこで学んだ姿勢は役に立っています。
学校をご卒業された後は、就職されたのでしょうか?
山中:貴族向けのドレスを作る会社に就職しました。そこでは「お客さまにいかに喜んでもらえるか」ということを常に考えて仕事する大切さを学びました。
私はそれまで「いかに自分の世界を構築するか」ということで頭がいっぱいだったのですが、そこで学んだ「お客さまに喜んでもらうための物作り」という考え方は、今のブランド作りにもつながっています。
念願のシルク・ドゥ・ソレイユへ!しかし・・・
そのドレスの会社にはいつまでお勤めになっていたのですか?
山中:6年ほど勤めました。フランスに行った当初は「企業に入って2~3年学んだらすぐ独立しよう」と考えていたのですが、しばらく勤めるうちに「会社の中でいかにポジションを高めていくか」という考え方に変わってしまっていました。「企業の中で自分の才能を発揮し続けられたらそれで良い」と思っていたんです。ちょうどそのタイミングで、シルク・ドゥ・ソレイユが日本で設立されることになったんです。
私がエンタメの世界を志したきっかけでもあったシルク・ドゥ・ソレイユが日本に来ると聞いて、「こんなチャンスはない」とすぐ帰国を決めました。
なんと、ここでついに念願が叶ったんですね。
山中:そうなんです。衣装の担当をするのだと思っていたら、シルク・ドゥ・ソレイユでは劇場管理や演出など、幅広く裏方の仕事を経験させていただきました。今の仕事にも、ここで学んだイベント運営のノウハウが役立っています。自分の夢だったこともあり、すごく充実して働けていたのですが、2年したところで潰れることになってしまいます。
それは大変でしたね。
山中:そうですね。その後は、ドレスの会社に勤めつつ、休日などの時間で実験的にファッション作品を制作していました。もともとファッション業界を志した動機として、「世界を良くしたい」という思いがあったことを思い出し、原点に戻って世界を良くするためのファッション制作をしていこうと決めました。
ファッション作品を実験的なアートとして展開
その時制作されていたファッション作品とはどういうものだったのでしょうか。
山中:まず、「機能性の高いレインコートを作りたい」と思ってスポーツブランドのミズノに企画を出したところ採用され、そこで一緒に開発した新しい素材を使ってレインコートを作りました。
海外から日本に帰ってきて気付いたのは、雨が多いこと。傘をさすのは危ないので、「お洒落なレインコートを作ろう」と思い立ち早速製作したところ、百貨店の目に留まり、展示会をすることになりました。すると、それを見た車椅子の女の子たちが私のところにやってきて、「車椅子に乗っている人用のレインコートには可愛いものがないから、作ってほしい」と言われたんです。そこで車椅子に乗る人たち向けのレインコートを作り始めたのが、「MONTESAINT」というブランドの発祥です。ただ、この時点では、法人化などはせずに、ただ作りたいものを作ってみるという感じでやっていました。
個人的な創作活動として取り組まれていたのですね。
山中:はい。実際に車椅子に乗る人と一緒に作らないとわからないことも多いので、車椅子利用者の方々と一緒に服を作り始めました。現在も一緒に働いている人は全員、障がいをお持ちの方々です。
また、フリーランスとしてプロジェクトやショーをプロデュースすることもやっていました。それと同時に、ビジネスコンテストなどでプレゼンテーションの機会をいただくようになり、徐々に反響が増えていきました。そんな動き方を2014年ごろまで続けていったんですね。
大きすぎた障壁が、法人化するきっかけに
徐々に人気が出てきていたんですね。
山中:当時、パラリンピックが盛り上がっていて、その関係で「MONTESAINT」にも引き合いをいただき、かなり忙しくさせていただいていました。
しかし疲労がたたったのか、目にアメーバが入ってしまい、左目を失明することになってしまいました。療養のため、1年間は何もできなかったんです。
「これから」というときに不運な目に遭ってしまったのですね。
山中:ただ、失明して強制的に休まなければならなくなったことで、ゆっくり考える時間ができたことはプラスでした。いろいろと考えていくうちに、「これから自分がやろうとしている福祉ファッションの事業は絶対に価値があるから、自分が倒れて頓挫させてはいけない。自分がいなくなっても事業が存続するよう、会社にしなければいけない」という結論に達しました。
そこで経営の本を読んだり、インターネットで調べたりするようになりました。基本的には本を読まない人生だったんですけど、必要に迫られて勉強するようになったんです。江戸川区が主宰する起業家志望者向けのゼミにも通っていろいろと勉強しました。
乗り越えても乗り越えても現れる壁
会社を退職されてからすぐに起業されたんですか?
山中:いえ、すぐに起業とはいきませんでした。
幸い、引き合いは結構きていて、例えば国連からも依頼がきていました。国連の依頼を受けてショーをやるためにも、すぐに会社を作る必要性が出てきていたのですが、法律や財務を勉強するために1年間くらいかかってしまいました。2017年から勉強を始めて、2018年にようやく会社設立できました。
先輩経営者にも「起業して3年は売上がまともにないから、身の回りのことは全部自分でやりなさい」と言われていたので、今でも会計業務などは全て自分でやっています。法人設立時は、無料キャンペーンを利用し、弥生会計オンラインも使っていました。
会社を作ってからは順調すぎるほどに事業が伸びていきました。しかし、2020年に開催される東京コレクションにも出られることになり、融資を入れて準備を進めていたところ、コロナ禍でショーがなくなり、売上が全て飛び、また一気に逆境に追い込まれました。
また苦難がやってきてしまったわけですね。
山中:会社の売上はショーが中心だったので、コロナ禍であらゆるイベントができなくなって大変でした。
ただ、弊社はコロナ禍以前にもリモートワークで仕事をしていたので、リモートワークのやり方などをコンサルティングする仕事をしたり、他の事業を作り出して糊口を凌ぎました。
機転がすごいですね。怖くはなかったのでしょうか?
山中:もちろん怖いですが、「なんとかなる」と思っていました。実際、これまでの人生でもなんとかしてきましたからね(笑)。乗り越えられないことはない。
かえって、「会社を作って以降順調すぎてできていなかった体制や制度の整備に集中して打ち込める時間ができた」とプラスに捉えました。
ただ、どうしても支出を減らす必要があったので、必要なときに必要な人材を集める組織体制に変更しました。これまで雇用していた社員の契約を正社員から切り替えて、フリーランスになってもらわなければならなくなったのは辛かったですね。皆悲しそうにしていましたが、状況が状況なので納得してくれました。現在、社員は私を含め2人だけです。
納得してくれたのは、会社に対する信頼があった証拠でしょう。
山中:うちの会社で働いてくれている子の中には、鬱を患い、会社を辞めてしまって、落ち込んでいた子もいるんです。そんな子たちが、学校の文化祭の準備期間かのように楽しんで働いてくれています。
イベントでのお客さまの反応を見て「生きていて良かった」とまで言ってくれた子がいて。彼女のその言葉で、私はこの事業を「会社にして良かった」と心の底から思うことができました。
これから起業する方へアドバイスをお願いします。
山中:自分が一番苦労したのが財務の面なので、時間の余裕があるのであれば財務については勉強してから起業されることをおすすめします。
ファッションの世界で起業される方には、「理想だけじゃないよ」と言いたいですね。自分が作りたいものではなく、人から喜ばれるものを作ることを心がけてみてください。
取材協力:創業手帳
インタビュアー・ライター:樋口 正
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