「U-30 KANSAI PITCH CONTEST」受賞者に聞く!日本の教育を変える「青楓館高等学院」の取り組み
2023/12/04更新
2023年2月22日、りそなグループビジネスプラザおおさかで開催された若手起業家の登竜門「U-30 KANSAI PITCH CONTEST」。最優秀賞を獲得したのは、通信制高校サポート校「青楓館高等学院」を運営する岡内 大晟(おかうち たいせい)さんです。今回は岡内さんに、自身の事業である青楓館高等学院を立ち上げたきっかけや規模拡大の要因、今後の展望などについてお伺いしました。
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自身の体験から、日本の教育に疑問を抱く
岡内さんが教育業界に興味を持ったきっかけを教えてください。
もともとスポーツが好きで、体育講師やスポーツ指導者になりたいと考え、教員免許を取得するために大学に進学したんです。免許取得の過程で教育実習へと進みました。教育実習は、今でも記憶に鮮明に残るほど楽しかったですね。あの経験が、教育業界に強く惹かれる大きなターニングポイントでした。
生徒と接することの楽しさ、充実感を味わうと同時に、大学生の自分が生徒たちに教えてあげられることの少なさも、痛感させられました。このまま指導者になることに対して疑問を持ち、大学卒業後、まずは自身の社会人経験を積むために、一般企業への就職の道を選んだのです。
就職先として選んだのは、PR会社での経営者営業。営業の力を身に付ければ、自分なりの付加価値になると考えていましたし、社会を動かしている経営者たちと接する時間は、学びになるのではないかと考えたからです。その段階でも、何らかの形で教育に携わりたいという気持ちは消えていませんでしたが、まずは自身の社会的実力を身に付けることに注力しました。挫折も多く経験しましたが、現在の私の強みである影響力や説得力の礎は、このときの経験から得たものだと感じています。
教育業界に実際に携わるようになった経緯を教えてください。
就職したPR会社では、400人以上の経営者と話す機会を得ることができました。興味深いことに、話をしてみると彼らは強烈な個性を持っていて、いわゆる一般的な日本教育の「右向け右」とは真逆の考えを持っているとわかりました。経営者だけでなく、社会で活躍していたり何かに秀でていたりする人たちは共通して、同じような特性があるのではないかと考え、現在の一辺倒な日本の教育方針に対して疑問を持ち始めたのです。
決められたルールに沿って学問や課題で優秀な成績を収めていても、社会に出たとたん、自分の社会的なスキルが無いことに気づく。これは、私自身も教員免許を獲得する段階の教育実習で実感していました。
そこで、子どもたちが自分の強みを客観的に把握し、個性で戦うサポートをしたいと、まず大学AO入試の専門塾に転職しました。AO入試は、自身の個性で戦う入学方法です。専門塾では、塾全体を任されるまでになり、生徒の大学合格率100%という実績を残しました。しかしAO入試の塾だけでは、根本的な教育の質を変えることはできません。子どもたちの可能性を最大限に伸ばすためには、学校が必要であると考え、青楓館高等学院の設立に至ったのです。当時は、まさか学校が作れるものだとは考えてもみなかったのですが、周囲に相談していくうちに、ご縁も重なり設立が実現しました。
「脱・右向け右」教育。個性を伸ばす青楓館高等学院
青楓館高等学院の特長について教えてください。
青楓館高等学院は「進路指導」に特化した通信高校サポート校です。授業は、高校卒業に必要な単位を修得する時間のほかに、著名人などのゲストスピーカーによる講演会、企業とのPBL(Project Based Learning=課題解決型学習)、地方創生プロジェクトなど「社会に開かれた学校」を体現するカリキュラムを組んでいます。これらの授業から、生徒は机上で学ぶだけでは得られない、自身の可能性や夢を見つけていきます。PBLでは生徒を社会人として扱い、企画の立案方法やマーケティングなど、実践において必要なノウハウを教えています。
「やりたいことがわからない」という学生がいますが、触れるものが限られた環境でやりたいことが見つからないのは当然です。日常生活の中でできる限り多くの社会人と触れる機会を作り、自身が「これ好きだな、ワクワクするな」という可能性を見つけてもらう。その感情の発見が「やりたいこと」を見つける大きな一歩となるのです。また青楓館では、週1回、心理学やコーチングの技術を用いた1on1の時間を設定しています。
今後は、研修を受けた専門のメンターが500名在籍するコミュニティの確立を計画しており、生徒のどんな要望にも寄り添える仕組みづくりを検討しています。生徒たちが出す答えは大学進学や留学、就職や起業などさまざまですが、青楓館には、どの道を選んでもサポートできるネットワークが充実しています。これは最大の特長といえるでしょう。
クラウドファンディングで220名の支援者。4月には校舎も設立
青楓館高等学院を設立してから現在まで、大変だったことは何でしょうか。
最初は「学校って、どうやって作るのだろう」と手探り状態でしたが、人とのつながりやネットワークを介して、少しずつ形になっていきました。多くの方が「日本の教育を変えたい、子どもたちの可能性を広げたい」という私の強い想いに賛同してくださり、さまざまな側面から支援してくださったのです。90名もの立ち上げメンバーやサポートチームに恵まれたことにも、感謝しています。
苦労したのは集客面です。できたばかりの高校を、どうやったら選んでもらえるのか。これは大きな課題でしたが、まずゼロ期生という形で、1年間の学生生活を送ってくれる生徒を、Twitterで声をかけて集めました。公式Webサイトも存在しないような状態でしたが、30名の生徒が集まってくれました。その後、1期生を集める際も、説明会や高校比較サイトなどでの露出回数を増やし、まずは知ってもらうことから地道に取り組みました。
クラウドファンディングでの資金集めなども、大きな課題でしたね。こちらもご縁に助けられ、200名を超える方に支援いただき、さらに活動の規模を拡大できたと感じています。おかげさまで2023年4月には、兵庫県明石市に青楓館の校舎を設立できました。支援者の方々には、生徒の先輩として教育に参画いただいています。
記憶に残る出来事があれば教えてください。
やはり青楓館を通してゼロ期生が大きく成長してくれたことが、一番印象深いですね。彼らは、今年の3月に卒業式を迎えました。入学当時、自分のことが嫌いで悩んでいた子や、夢がないと話していた子が、自分の個性を強みに変え、いきいきと次のステップに歩みを進めている姿を見ると「本当に、学校を作ってよかった」と心から思いました。
ゼロ期生が取り組んだ企業PBLの例として、パソナグループが取り組んでいる淡路島創生プロジェクトが挙げられます。パソナグループと一緒になり、企画を立案・実施するというPBLでした。生徒たちが企画した夏祭りは結果多くの来場者を集め、灯ろうイベントなども大成功となりました。
(参考)
【青楓館高等学院】高校生による地方創生プロジェクトを開始|PRTIMES
このようなたくさんのプロジェクト経験を経て、生徒たちは積極的に物事に取り組むようになりました。青楓館での学びが、行動するきっかけになったと生徒に言ってもらえるだけでなく、企業側にも納得いただけることも増えており、手応えを感じています。
「社会に開かれた学校」が日本の教育と若者を変える
改めて「U-30 KANSAI PITCH CONTEST」に参加されてみていかがでしたか。
ピッチコンテストに参加したことで、青楓館の取り組みが評価されたこと、価値があると認められたことは、大きな糧になったのではないかと思います。生徒にも、常日頃挑戦することの大切さを伝えていますが、私自身が実際にチャレンジし、優勝したという実績を残すことができたのは、生徒たちにも良い影響を与えられたのではないかと考えています。私個人としても、普段接することのない金融業界の方々とのご縁ができたことは大きかったですね。
これからの展望について教えてください。
青楓館は「日本を世界一の教育大国にする」をビジョンに、「だれもが持続的に自分らしく生きられる社会をつくる」をミッションに掲げています。経済成長率ワースト1位となってしまった現代の日本を大きく変えるには、教育改革が必要不可欠だと考えています。
具体的には、企業のインターンシップ制度なども充実させ、学費を生徒自身が稼ぐしくみを構想しており、実現すれば、定員数を設けず規模を拡大することができます。5年で1,000人、10年で2万人の生徒獲得を目標指数に掲げ、教育の市場が拡大すれば、必然的に教員の質の向上も実現できます。がむしゃらに進み続けている私も、毎日挫折の繰り返しです。それでも私には「日本の教育を変えていく」という、使命にも近い大きな目標があります。
この実現のために、ビジョンを描き、周囲に伝え続けなければいけません。これからも教育に対してのまっすぐな想いを持ち続け、日本の若者たちの可能性を最大化させていきたいと考えています。
岡内 大晟(青楓館高等学院 代表取締役)
教育実習にて、「社会のことを何も知らない自分が、何を教えられるんだ」と違和感を抱き、就職の道を選択。PR会社に就職後、400人以上の経営者にインタビューを行う。そこで学校教育の真逆(右向け左)の人材が経済を回し、世の中を作っていることを痛感。「個性教育」の価値に気づく。その後、AO入試の専門塾に転職し、合格率100%の校舎を達成。青楓館高等学院の設立へ。