夫婦で農村起業。きっかけは学生時代に見た“生きることの本質”だった。
- 起業時の課題
- 集客、顧客獲得, バックオフィス業務
都市部での生活に疑問を感じ、新しい暮らし方を模索していた君島さんご夫婦。国内外の農村での暮らしを体験する中で、里山の魅力と農業の可能性を実感し、栃木県茂木町(もてぎまち)への移住と起業を決意しました。現在は、民泊兼パン屋「月noco」を営み、半農半Xのスタイルで事業を展開しています。
今回のインタビューでは、起業に必要な準備や直面した課題、そして里山生活の魅力まで、君島さんに詳しく伺いました。君島さんが挑戦を通して得られた学びは、起業を考える人にとって大きなヒントとなるでしょう。ぜひ最後までお読みください。
会社プロフィール
業種 | サービス業 (旅館・ホテル/旅行・レジャー・アミューズメント関連)、サービス業 (飲食)、農林水産業・鉱業 |
---|---|
事業継続年数(取材時) | 5年 |
起業時の年齢 | 30代 |
起業地域 | 栃木県 |
起業時の従業員数 | 0人 |
起業時の資本金 | 200万円 |
話し手のプロフィール
- 君島 佳弘
- 雑穀農家のパンと宿 月noco 代表
- 1987年栃木県生まれ。日本写真芸術専門学校卒。
学生時代に行った食肉センターや海外の農村でのフィールドワークをきっかけに農業に関心を持つ。その後栃木県で就農。農家民宿や自然学校の運営を通して農業や里山の魅力を伝えている。 NHK大河ドラマ「青天を衝け」では農業指導を担当。
目次
- 里山で展開する独自の事業。屋号に込めた想いとは?
- 学生時代の衝撃的な体験が、起業への道を開いた。
- 1年かけた開業準備。お金をかけず開業するために実践したこと。
- 地方での集客に欠かせなかった2つの広報ツールとは?
- 地方移住と起業で叶う豊かな暮らし。
里山で展開する独自の事業。屋号に込めた想いとは?
現在の事業内容について教えていただけますか?
君島さん:栃木県の農村地域にて主に3つの事業を行っています。農家民宿、天然酵母のパン屋、そして農業体験事業です。農業を営みながら事業を展開する、いわゆる「半農半X※」な暮らしをしています。
- ※半農半X(はんのうはんえっくす):農業とそれ以外の何かを指す「X」を組み合わせたライフスタイル。小さく農業を営みながら、同時に自分の好きなことや別の仕事などを両立して暮らしていく考え方。
築130年の古民家を改装して生活をしており、自宅でもあるその古民家で、春から秋にかけて民宿として運営して、冬期には週に1度パン屋を営業しているんです。
また、年間を通じた「里山ごはんのがっこう」という農業体験事業を行っています。3月から翌年の2月まで、お米作りや野菜作りを体験しながら、里山での暮らしを学べるプログラムを提供しています。参加者は、お子さま連れのご家族や移住に興味のる方、農作業に関心のある年配の方などです。そのほか、夏や秋には栃木県内で開催されるマルシェに出店することもあります。
それらを踏まえても、私たちの事業収益は一般的なサラリーマンの平均年収と比べると決して多くはありません。しかし、おいしい食材や山水など生活に必要なものは十分揃っていますし、茂木町には美しい田園風景の中で暮らす温かい人たちがたくさんいます。私たちは、里山での“足るを知る暮らし”を大切にしていきたいんです。
「月noco」という店名にもその想いを込めました。旧暦や月のリズムに沿うような、自然な暮らしの象徴としての「月」と、とあるインドの先住民族の言葉で「もう十分」という意味の「noco」を組み合わせた大切な名前です。
学生時代の衝撃的な体験が、起業への道を開いた。
どのような経緯で事業を始められたのでしょうか?
君島さん:学生時代、私は写真と報道関係の仕事に興味があり、専門学校で報道写真の勉強をしていました。その過程で、食肉処理場を取材し、衝撃を受けたんです。自分はこれまで牛や豚など命ある“生き物”が、どのように“食べ物”になっていくのかと深く考えたことがなかったなと。
さらに卒業前には、半年間自分でテーマを決めて海外で取材するプロジェクトがありました。私は食に関わる農業の現場を見たいと思い、インドや中国など東南アジアの農村を取材先として選んだんです。
現地では、家の中で牛と一緒に暮らす人々や、家の敷地内で亡くなった方を火葬する現場などを取材しました。アジア各地でさまざまな農村での暮らしを見て、本質的に生きている実感が湧いたというか、目指すべき未来のヒントは農村にあるのではないかと感じたんですね。
卒業後は、農作業や酪農に携わるさまざまな職を経験しました。北海道、岩手県、福島県など、さまざまな土地で働きながら、いつか農業で起業しようと考えていました。結果的に、出身地でもある栃木県でよいご縁があり、30歳くらいのときに移住し、事業を始めました。
奥さまとご一緒に事業をされているということですが、もともと奥さまも移住や農業に興味を持っていらっしゃったのでしょうか?
君島さん:東日本大震災が最初のきっかけになったようです。妻はもともと都内でパティシエをしていたのですが、震災後、都会での生活に疑問を持ち始めたようで。さらに、宮城県石巻市で被災したお米農家を手伝った経験も、食べ物を育てる暮らしに魅力を感じたきっかけになったと話していましたね。
その後、栃木県の自然食レストランで働いていた妻と私が出会い、里山への移住と農業起業の道を一緒に模索し始めたんです。現在、月nocoでは、妻はパンや焼き菓子の製造を担当しています。
1年かけた開業準備。お金をかけず開業するために実践したこと。
開業準備はどのように進められましたか?
君島さん:まず、物件探しは先輩移住者の方が手伝ってくれました。自治体が運営する「空き家バンク」も利用しましたが、情報が少なかったり高額な物件が多かったりと、希望する物件がなかなか見つからなくて。一方で私たちの場合は、仲良くなった先輩が物件を1軒1軒当たってくださり、現在の物件を見つけることができました。築130年ほど経っていますが、柱などはしっかりしている頑丈な家です。
移住後は、1年かけて古民家の改装をしました。民泊の許認可と菓子製造許可、飲食店営業許可と、それぞれの申請に必要な部分の改装です。唯一、浄化槽の設置だけは業者に外注しましたが、それ以外の作業はすべてDIYで行いましたね。ふすまや障子の貼り替えからシンクの設置まで、仲間と一緒に行いました。
開業資金で最も大きかった出費は、浄化槽の設置でした。下水処理を各家庭で行うような山間部の民泊では、適切な大きさの浄化槽の設置が求められます。工事には100万円以上かかりましたね。
融資については、町からの少額の移住者向け支援を受けただけで、ほとんどが自己資金で賄いました。また、栃木県で開催されたビジネスコンテストに応募し、ありがたいことに最優秀賞を受賞できたので、その賞金100万円を開業資金に充てました。民泊経営を通じて、茂木町の魅力を発信し、里山と社会の接点を作りたいという想いを支援していただけたので、嬉しかったですね。
バックオフィス業務、特に会計管理について現状はどうですか?
君島さん:実は私たち夫婦にとって会計は一番苦手な分野で、今でも手書きで管理しています。開業の勢いでここまで来たので、会計ソフトも導入できていなくて。しかし、確定申告に時間がかかっていますし、将来的には農業研修生の受け入れや従業員の雇用も視野に入れているので、今後は力を入れて会計管理を改善していこうと考えています。
地方での集客に欠かせなかった2つの広報ツールとは?
開業時の集客や広報活動はどのように行いましたか?
君島さん:開業1年目のお客さまは、ほとんどが知人でした。私たち夫婦は開業前からさまざまな地域を転々としながら働いていたので、その繋がりからの集客がメインでしたね。
また、SNSでの情報発信は開業当初から積極的に行っていました。私が撮影した写真をInstagramやFacebookに投稿して、日々の活動内容を紹介しています。そのおかげで、新しいお客さまの宿泊やパン屋への来店者が増えていきました。SNSは地方で経営している私たちにとって、手軽に広く情報発信できる大切なツールですね。
その後も口コミやSNSを通じて、徐々にお客さまが増えていきました。特に近年は地方移住に興味を持つ人が増えたこともあり、茂木町の生活を体験したいという人が多く訪れるようになりました。また、自然栽培や有機農業に関心がある人々からも注目を集め、農業体験を希望するお客さまも増えました。多くの人に茂木町の良さを体験してもらいたいと思っています。
またありがたいことに、私たちは地元の新聞やテレビからの取材問い合わせも多くいただいたんですよね。特に地元紙である下野新聞からのサポートは大きく、移住者を応援してくれる記者さんに何度も取り上げていただきました。
実は移住後のタイミングでわが家に子供が生まれたのですが、“27年ぶりに地域に生まれた赤ちゃん”として、地元紙に掲載されたこともあり、それが大きな話題になったんです。地方における新聞、特に地元紙の信頼度の高さを感じましたね。実際に新聞で見て来た、というお客さまも多くいらっしゃいました。
特に積極的なメディアへの働きかけは行っていませんでしたが、取材のお声がけをいただき、その結果、集客にもつながったので本当にありがたい話です。
地方移住と起業で叶う豊かな暮らし。
今後の事業展望について教えてください。
君島さん:今後も事業を通じて地域の課題を解決したいです。
現在、茂木町では高齢の農家さんが農地を維持し、伝統的な風景や水路を守っています。ただでさえ慣行栽培で作物を出荷しても赤字になりがちな時代。もしこのまま若い世代が農業を継がず、農地や里山の管理が行き届かなくなれば、茂木町の美しい田園風景は失われてしまうでしょう。私たちが移住を決めた大きな理由の1つであるこの景観を守り継ぐためにも、研修生を受け入れ、田畑を維持するための仕組みを作っていきたいと考えています。
また近年、都市部を中心に自然に触れる機会が減っています。その結果、ストレスを抱えながらも、子供たちがそれを発散したり心を癒やしたりできる場所も減る一方です。こうした環境が、子供たちの精神的な生きづらさにつながっているのではないでしょうか。
一方で、地方では高齢化や農地の荒廃が悩みの種です。私は、このような都市部と地方、双方の課題を解決に導く糸口となるのは、自然との触れ合いではないかと考えています。都会の人々が里山を訪れ、農作業を体験することで、心身ともにリフレッシュできる。そして、そのような交流が、地方の活性化にもつながっていく。現在行っている「里山ごはんのがっこう」での農業体験は、まさにそのような取り組みの1つです。
「里山ごはんのがっこう」は、まだ試行錯誤の段階ではあるものの、参加者からは好評です。お米の種まきから収穫、お餅つきまでも体験してもらい、都会の子供たちが泥んこになって田植えをする姿を見ると、私たちも嬉しくなりますね。これからも、より多くの人に農業の魅力を伝え、自然との触れ合いの大切さを実感してもらえる機会を作っていきたいです。
農村地で自然と触れ合う経験は、子供たちにとって素晴らしい機会になりますね。最後に、移住や地方での起業を考えている方へメッセージをお願いします。
君島さん:地方での起業は、都市部とは異なる課題もありますが、そこには大きなやりがいと可能性があります。私たちは移住と起業の過程で、地域の方々とのつながりを大切にしてきました。そうした地域とのコミュニケーションが、事業を軌道に乗せる上で重要な要素の1つだったと感じています。
また、事業の規模や収益に関わらず、自分たちの理想とするライフスタイルを追求することが大切ではないでしょうか。私たちの場合は、“足るを知る暮らし”を大切にしながら、事業を通じて地域課題の解決に取り組むことで充実感を得られています。
「月noco」の事業が、地方での起業や豊かな暮らし方を考えるきっかけになれば嬉しいです。みなさんも、自分らしい生き方や働き方を叶えるために、ぜひ1歩踏み出してみてください。
取材協力:創業手帳
インタビュアー・ライター:間宮 まさかず
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