銀行員からフードコンサルタントへ。独立して成功するために大切にしている2つのこととは。
- 起業時の課題
- 起業/法人成り関連手続き, 集客、顧客獲得
「やりたいことを仕事にしよう」と決意し、銀行員からフードコンサルタントに転身した株式会社Food teller(フードテラー)の松田弘子さん。地元・奈良県を拠点に全国各地の地域の食材を活かしたレシピ開発・商品開発に取り組み、さらにはレストランをまるごとプロデュースするなど、「食」を中心にさまざまな事業に挑戦しています。
今の地位を確立されるまでには、どのような苦労があったのでしょうか。未経験の職種を事業として成り立たせるまでの、松田さんの軌跡を辿っていきます。
会社プロフィール
業種 | コンサルティング・リサーチ業 |
---|---|
事業継続年数(取材時) | 5年 |
起業時の年齢 | 40代 |
起業地域 | 奈良県 |
起業時の従業員数 | 0人 |
起業時の資本金 | 非公開 |
話し手のプロフィール
- 会社名
- 株式会社Food teller
- 代表取締役
- 松田 弘子
株式会社Food teller 代表取締役
大学卒業後、金融機関に就職。食の仕事に夢を抱き、退職し起業。個人事業主からスタートし、10年間の実績を積んで、フードコンサルティング会社「株式会社Food teller」を設立。現在は、小さな農産加工所から大型飲食施設まで、施設の立ち上げ、商品開発、経営指導のサポートを行う。
目次
- 自身の夢を追って、フードコーディネーターから広げる事業
- 「あなたにお願いしたい」と言われるために心がけたこと
- マスメディアに出演するようになったきっかけ
- 「松田さんと愉快な仲間たち」チーム
- 独立して成功するための2つのポイント
自身の夢を追って、フードコーディネーターから広げる事業
現在の事業内容を教えていただけますか?
松田さん:食の魅力をたくさんの人に伝えるべく、食にまつわる総合的なフードコンサルティング業をしています。
奈良県を拠点としていますが、全国各地の地方の案件が多く、農家のお母さんたちと一緒にやる商品開発、収益を上げるための課題解決やイベント、食の総合施設の立ち上げ、学校給食の献立開発、レストランのメニュー開発など、幅広くサポートをしています。施設の立ち上げなどの際にはスタッフの教育や経営指導なども実施しています。
もともとは「フードコーディネーター」としてレシピ開発や監修などを行うところから始め、そこからコンサルティング業にも発展していった形ですね。
松田さんは、フードコーディネーターとして独立される前には銀行員をされていたんですよね。
松田さん:はい。大学を卒業してから新卒で地方銀行に入社し、そこから8年間勤めていました。私が就職活動をしていた時代は、いわゆる「就職氷河期」とも言われていたようなときで、安定したところに就職するのが良いことと捉えられるような風潮がありました。だから私も、「ある程度安定した企業に就職しよう」ということで、地方銀行に就職したんです。
なぜ銀行員から「起業しよう」と思われたのでしょうか?
松田さん:もともと食べることが大好きだったんです。料理にも興味がありましたので、「いつかは食に携わる仕事がしたい」と思っていました。
27歳くらいのときから、将来のキャリアのこと、人生設計を考えることが多くなりました。そこで、銀行員としてキャリアを積むのか、自分のやりたいことをやって生きていくのか相当な期間悩みました。自分がやりたい「食」の分野に挑戦する可能性を模索していきます。
なるほど。そこからフードコーディネーターを目指していくことになったのですか。
松田さん:はい。「フードコーディネーター」という職業を知って、学びたいと思い、養成学校に通って資格を取得しました。
しかし、資格を取ったものの、銀行を辞めてこの世界でやっていけるかどうかまだ自信を持てなかったんですね。なので、銀行員として勤めながら、フードコーディネーターの先生に「週末だけでもお手伝いをさせてください」とお願いして、半年ほどお手伝いさせていただいていました。ありがたいことに、先生から「そんなにフードコーディネーターの仕事をやりたいなら、うちで働かないか」と言っていただいたんですが、そのときはまだ銀行を辞めるまでの決意ができずにいたんですね。
そこから、自分なりの食の知識をさらに身に付けたいと思い、「野菜ソムリエ」の資格を取りに行ったんですよ。
それが現在のお仕事のスタイルにつながっているのですね。
松田さん:そうですね。野菜ソムリエの資格取得をきっかけに広告代理店の方などさまざまな分野の知り合いも増えて、そこでようやく、「私もやっていけるかも」と思って、29歳のときに銀行を退職し起業する決意ができました。
起業するときは周囲の方から反対されませんでしたか?
松田さん:もう大変でしたね。「銀行辞めてどないすんねん!」と、もう周りじゅうから反対されました。一時はすごく落ち込んで、すがるように占いにも行ったくらいでした(笑)。それでも、「これからの人生は好きなことをして生きる」と覚悟を決めて、退職することにしました。
「あなたにお願いしたい」と言われるために心がけたこと
「フードコーディネーター」として独立されて、具体的にはどのような活動をされていたのでしょうか。
松田さん:走り出しのころはメーカーからの商品やレシピ開発のお仕事を受けていました。ですが、その方向でやっていくなら地方で仕事をするよりも、都市部で仕事をする方が有利だと思った時期もありました。
そのころにたまたま、行政の方と知り合うことができました。奈良県が大和野菜の普及を進めていた時期です。そのご縁で大和野菜に関するレシピ開発の仕事をするようになります。ローカルに方向性を変えたきっかけです。
県内のレシピ開発はどんなことをされましたか?
松田さん:1つの転機となったのが、大型の産直レストランの立ち上げに携わったことです。そのレストランが大成功したのがきっかけでいろいろなお話をいただくことが増え、今のフードコンサルティング業につながっていきました。少しずつ成功体験を積み重ね、都度チームを組んで取り組んで新しいことを学んで、という繰り返しです。
プロジェクトがうまくいったことも1つのきっかけですが、そのプロジェクトでご一緒した方々とのご縁ができたことも、コンサルティング業へと業容を広げていくことになった要因です。そのときにご一緒したコンサルの先生やシェフの方々とは、そこからずっと、チームでご一緒にお仕事をさせていただいています。
行政の方と知り合ったり、そこでお声がかかったりしたのはご縁もあるとは思いますが、「松田さんにお願いしたい」となったポイントは何かありますでしょうか?
松田さん:いろいろな会に顔を出して、恥ずかしげもなく「こういうことがやりたい」と言っていたのが大きかったと思います。若さゆえの勢いもありましたね。
いただいたお仕事には全力で取り組みました。常に心がけていたのは、「どうすれば長く愛されるものを作れるのか」と考えることです。そのため、「ヒット商品で一発当てたい」というご相談をいただくことがあっても、お断りすることにしています。お店を作るにしても、商品開発をするにしても、ヒットさせようと思ったことはありません。一過性のブームを狙わないことで、持続的な産業につながると思っています。
マスメディアに出演するようになったきっかけ
松田さんはテレビや本、ラジオなどのメディアにも出演されていますよね。どういったいきさつでメディアにご出演されるようになったのでしょうか?
松田さん:「野菜ソムリエ」の資格を取得してから、当時の野菜ブームもあって取材依頼が結構ありましたね。起業間もないころ初めて出演したABC朝日放送の「おはよう朝日です」の取材は、びっくりするくらい緊張したのを今でも良く覚えています。
一番大きかったのは、奈良テレビの『ゆうドキッ』という番組で、料理コーナーにレギュラー出演させてもらったことです。立ち上げのタイミングでお声掛けいただき、そこから4年間レギュラー出演していました。
テレビに出たことで、やっぱり周囲からの見られ方が変わってきたのはすごく感じています。レストランをプロデュースしていても、最初は周りから「本当に大丈夫か?」と懐疑的に見られていた部分もあり、自分の力のなさを痛感していたんですが、毎週テレビに出ているというところで説得力や信頼度が増したのか、周囲からの評価が上がっていったのを実感しました。
「松田さんと愉快な仲間たち」チーム
2017年に事業を法人化されています。それはどういった理由からでしょうか?
松田さん:受けるオファーの規模が大きくなっていったのと、行政の仕事を受けるにあたっても今後は法人化した方が良いと考えて、株式会社を設立しました。
法人化する際にはご自身で手続きなどはされたのですか?
松田さん:そのときは法人化しなければならない期日が決まっていてバタバタだったので、知り合いの税理士の先生に相談しにいったんです。そこで紹介された司法書士の先生にすべてお任せしました。ヒアリングをしてくれる中で、自分が今後どのように事業展開していくか、自分の思考も整理できたので、プロの方にお願いして本当に良かったと思っています。
従業員の方は雇用されているのでしょうか?
松田さん:社員を雇おうか、これまで何度も考えてきていて、正直今も考えています。ただ、うちみたいな小さな会社は特に、1人社員を雇うと、その人を育てるという意味も含めて責任もあり、そこまでできるかなと悩むことも多くて、今もなお課題にしているところではあります。
今は、プロジェクトごとにスペシャリストの方々に業務委託という形でお願いすることが多いです。各分野の専門知識を持っている方と一緒に仕事をすることで、自分の学びになりますし、スピード感を持って完成度の高いものができあがるので、今はそれでやっています。私は「松田さんと愉快な仲間たち」チームと呼んでいるのですが(笑)。
アシスタントとしては、一時、アルバイトの方を雇用していました。今は皆子育ての時期なので離れていますが、将来的にまた従業員として雇用する可能性はあります。それが理想かもしれませんね。
独立して成功するための2つのポイント
「食」に関連する仕事をしているとなると、コロナ禍の影響も大きかったのではないでしょうか?
松田さん:そうですね。講演会やイベント、セミナー講師のお仕事は「ここぞ」とばかりに依頼のキャンセルが続いて、県外の出張も全てダメになり、「潰れるんちゃうか」と不安になりました。でも、今できることをまずやろうと思い、コロナ禍で営業できなくなってしまった監修先のバイキングレストランを定食屋に業態変更する提案書を作ったり、ニューノーマル時代を見据えた商品開発をしたりしていました。
なるほど。ピンチをチャンスに変えたんですね。
松田さん:それまでは、今までの自分の成功体験をベースに仕事をしてきたのですが、そこで仕事のやり方や考え方をガラッと変えて、新しい視野で提案を始めたのが良かったんですね。その成功から、新しい商品やブランディングのお仕事のご依頼が増えていきました。さらに最近はイベントなども徐々にできるようにもなってきたので、ありがたいことにいろいろお声を掛けていただけるようになっています。
素晴らしいです。これからさらに事業を拡大していくご予定はおありですか?
松田さん:あくまで私個人で誠意を持って対応できる大きさであり続けたいです。私自身が生涯現役プレイヤーでいたいので。
最後に、松田さんのように独立して長く続けるためのポイントを教えてください。
松田さん:大きく2つを意識しています。まず、人生のキーパーソンとの出会いを見極め、その出会いを大事にすることです。私も、大和野菜関連のお仕事を依頼してくださった方との出会いが、大きかったです。素敵なご縁でした。それからもう1つは、チャンスが来たときにすぐに動けるようにしておくことです。チャンスは誰しも平等にやってきますので、それをうまくつかみとることを意識されると良いと思います。
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