企画力と推進力を武器に「酒蔵のIT化」を支援!実践者から教わる50代からの起業術。

起業時の課題
事業計画/収支計画の策定, 集客、顧客獲得, 製品/サービス開発, マーケット・ニーズ調査

株式会社CONO代表取締役の尾﨑茂久さんは、大学卒業後約10年間、中央官庁向けにITサービスの営業を経験されました。その後、金融機関での約20年の勤務を経て、独立。IT営業の経験を生かして、日本酒を製造する蔵元のIT化を支援する株式会社CONOを54歳で設立されました。

50代で思い切って独立された経緯や、経営を軌道に乗せるためのコツなど、これからシニア起業を目指される方はもちろん、若くして起業を目指す方にも参考になるお話をたっぷり伺うことができました。

会社プロフィール

業種 コンサルティング・リサーチ業
事業継続年数(取材時) 5年
起業時の年齢 50代
起業地域 埼玉県
起業時の従業員数 3人
起業時の資本金 100万円

話し手のプロフィール

会社名
株式会社CONO
代表
尾﨑 茂久
株式会社CONO代表取締役社長
東海大学体育学部卒、NECグループ会社、SONYグループ会社を経て、2017年6月株式会社CONO設立 現職。
第一種衛生管理者、相続診断士、川口商工会議所会員、2級ファイナンシャル・プランニング技能士

目次

若手時代に足で稼いだ経験が一番の経営リソース

まず現在の事業内容を教えていただけますか?

尾﨑:日本酒を製造する蔵元のIT化を支援する経営コンサルティングサービスを提供しています。ITを活用した業務の見える化、AWSなどクラウドのソフトウェアを利用した経営の効率化など、さまざまに企画・提案して、実行するところまで伴走して支援する形です。

日本酒の蔵元は、IT化というイメージから程遠い気がします。

尾﨑:おっしゃるとおりです。日本酒製造の蔵元の多くは小規模な家族経営で、まだまだIT化が進められていません。そこに目を付けてこの事業を推し進めてきました。

尾﨑さんはもともとITサービスの営業をされていたとお伺いしました。

尾﨑:そうですね。私はもともと、NECの子会社で約10年間中央官庁向けにITサービスの営業をするところからキャリアが始まっています。私が新卒で入社したころはまだ中央官庁の多くが紙ベースで仕事をしていたので、「データベースを導入しませんか」などと営業したりして、さまざまな角度から中央官庁のIT化を支援する仕事をしていました。

その時に鍛え上げられた「今あるものをいかにIT化で効率化できるか」という発想法は、今の仕事でそのまま活かされています。

NEC時代と今のCONOのお仕事は本質的にはあまり変わっていない、ということでしょうか?

尾﨑:そうですね。基本的にはNEC時代に中央官庁に対してやっていたことを、今は蔵元に向けてやっている、ということです。昔培ったノウハウをそのまま応用している形ですね。私が50代前半までやってきた仕事の延長線上に、起業があったイメージです。

なるほど。それまでやってきた仕事と地続きの内容であれば、起業するにあたってもある程度「土地勘」のようなものがありそうです。しかし、それでも50代で起業するのは「怖い」と思われる方が大半かと思います。

尾﨑:そうかもしれませんね。ただ私の場合は、年齢は全然気にしていませんでした。もともとアメリカンフットボールをずっとやっていたので、スポーツマン精神からくるアントレプレナーシップが備わっていたんですね。どんどん開拓していきたい精神というか。NECの実業団のチームにも入っていたんですよ。

やる前にごちゃごちゃ考えて悩んで前に進めないよりも、「まずはやってみよう」という精神が私の中にはあって。起業もそんな感じですんなりと踏み切れた感じですね。周りのアメフト仲間が起業していたのも、気持ち的な後押しになっていたのかもしれません。

  • アントレプレナーシップとは…日本語では「起業家精神」とも訳される。自分で「事業をゼロから起こそう」と思う気持ちのこと。

法人化する前に身軽な個人事業主として独立

今のお仕事を始める前は金融機関にお勤めでいらしたんですよね。金融機関にいたときから副業で創業されたんですか?

尾﨑:いえ、副業として始めたわけではありませんでした。それまで勤めていた金融機関を辞めて、まずは個人事業主として創業しました。2015年、52歳のときです。

その時点で売上が立つ見込みは立っていたのでしょうか。

尾﨑:いえ、まだその時点では何もしていなかったので、見込みはありませんでした。

すごい勇気ですね。普通の人だったら、怖くて独立できないと思います。

尾﨑:確かに、普通の人だったら独立できないかもしれません(笑)。ただ私の場合、子供2人は成人していましたので、もう親としての役目は果たしていたということはありました。だから、これからはもっとチャレンジしていきたいな、と思っていたタイミングだったんですね。

なるほど。それでも独立に踏み切れたのはすごいです。

尾﨑:たまたま蔵元に訪問する機会があって、そのときに「蔵元のIT化を支援する」というビジネスアイデア自体は思い浮かんでいたんですね。だからあとは、どのように収益化していくか、ということだけでした。

当時はまだほとんどの蔵元がIT化していなかったんですよね。やっぱりなかなかチャレンジングなことだと思います。

尾﨑:そうですね。創業当時は、蔵元の杜氏さんたちが我々の提供するサービスに対してどれくらい対価をお支払いいただけるのかの相場感がなかったので、探り探りでした。個人事業主として独立したのが2015年で、2017年6月に法人化するまで、いろいろな蔵元にお伺いして、とにかく1軒1軒、じっくりと関係構築をしていきましたね。

ただ、始めた当時は営業に費やす時間に対して売上がどれくらい立つのかも見えていなかったので、本当に手探りでした。

顧客獲得にも活きた、サラリーマン時代に染みついた営業手法

最初は個人事業として事業を始められましたが、2017年に法人化されています。このタイミングで売上の見込みが出てきたのでしょうか?

尾﨑:そうですね。青木酒造さんにお伺いした際に、IT化の提案をして売上の見込みが立ったので、そこでようやく「法人化しよう」となりました。まずは記録をメール化したり、費用管理をIT化したり、と非常に簡単なIT化の提案から始めました。

法人化するまで2年ほどの期間がかかっています。最初の売上を立てるまでは苦労されたんですか?

尾﨑:職人さんは基本的に、今でもIT化を良いことだとは思っていない方が多いです。「ITを使ったら仕事が奪われる」なんて思っているのかもしれませんね。今でも苦労しますが、創業当時もIT化を納得してもらうまでが非常に大変でした。お酒造りをするベテランの蔵人や杜氏さんは、温度を手で測ったりするんです。それをデータで記録するのでさえ嫌がるくらいでしたから。

ただ、温度を肌感覚で記憶するのは非常に大変なことで、体も酷使してしまいます。そこで「ITを使えば体をそこまで使わずにできるし、その分温存した体力をまた新しいお酒造りに費やすことができるよ」なんて提案していましたね。あとは、「昔のお酒のデータを残していれば、新しいお酒造りにも活かせるよ」とも提案していました。いきなり納得してくれるはずがないので、とにかくお客さまの元に足を運んで、あの手この手で説得して回っていました。

また、蔵元は10月ごろからお酒を造り始めて、翌年の3月ごろまでずっと酒蔵に入り浸ってお仕事をされます。お酒を造り終えると杜氏さんたちはいなくなってしまうので、我々がお客さまと商談できるのもその半年間だけなんですね。だから商談に費やせるのは普通のお客さまの半分程度の期間しかないんです。そのため、商談をクロージングできるまで、普段の商談の2倍程度の期間を見込んでいました。1つの蔵元に対して2年くらい費やしてクロージングまで持っていくイメージでしたね。

なかなか根気のいる作業ですね。

尾﨑:これは某県酒造組合杜氏会で講演したときの話です。歴史ある銘柄の杜氏さんの前で講演したことがありました。私の講演の一個前の講演でその杜氏さんが講演をしたんですが、その中で「酒造りにITは必要ない」みたいなことをおっしゃっていたんですね。で、その直後の講演で私が「蔵元のIT化」をテーマに講演をして。非常にやりづらかった(笑)。

ただ、私が講演の中でこう言ったんです。「今の若い人が一から丁寧にお酒造りを学ぶのは難しい。でもお酒の記録を残しておけば、若い人でも本当のお酒造りが学べる。だからIT化は後世に正しいお酒造りを伝えるためにぜひ必要なんだ」と。すると「IT化はいらない」とおっしゃっていたその杜氏さんも大いに納得してくれました。

とにかく誠意を尽くして相手に伝わる言葉で根気強く説得していくこと。それをやり続けること。この積み重ねで前に進んできましたね。1軒1軒丁寧に口説いていくうちに、口コミで弊社の評判が広まっていったみたいです。

創業当初、資本金はどの程度あったのでしょうか?

尾﨑:100万円程度を自分で用意していました。金融機関にいた際に、「経営が厳しいときでも2年間は持ち堪えられるような状況を用意しておく」ことの重要性を学んでいたので、最初は身軽にスタートしました。

提案するのが楽しい。一生現役でいたい

金融機関時代と比べて、収入も伸びたのではないですか?

尾﨑:いえ、全然まだまだですね。コロナ禍の影響で蔵元に足を運べなくなってしまったこともあって、売上的にはまだまだです。コロナ禍が終息すれば、需要も戻ってくるとは思っていますけれども。

起業してよかったな、と思われますか?

尾﨑:思いますね。私自身、何かを提案して、自分が出した提案を受け入れてもらったり、反応を見たりするのが楽しくて仕方ないんです。だからこれからも、どんどん新しいことを考えて提案していきたいですね。生涯現役でいたいです。

50代にもなると、実力もあってパワーもあっても、企業の中でくすぶっている方も大勢いらっしゃるかと思います。そうした方々に対して、起業をおすすめしたいですか?

尾﨑:そうですね。私としては、仲間が増えるので大賛成です。若いときにバリバリ働かれていた方であれば、50歳を過ぎてもまだまだパワーが残っているでしょう。そうした方であればどんどんチャレンジしてみるのも良いのではないでしょうか。

ただ、50代で起業するにあたって気を付けなければならないことはいくつかあると思います。一点目は、若い人の意見を聞くこと。私の会社にも若い社員がいますが、彼らの意見やサポートがあるからこそできることもあります。そのあたりの柔軟性がなければ、独立起業してから空回りしてしまうことにもなりかねません。

あとは、モチベーションとアントレプレナーシップを持つことです。私はもう50代後半ですが、業務に集中していると、「気が付いたらもう朝だった」なんて日が今でもあります。それくらい集中して仕事に取り組めるモチベーションがないと難しいです。

モチベーションを保つためには、好きな仕事じゃないと厳しいでしょうね。私は企画・提案が大好きだからこそ、このような働き方を今でも続けられています。

なるほど。好きな仕事だからこそ頑張れるのですね。

尾﨑:はい。現在お仕事で仲良くさせてもらっている私と同年代の方々も、非常にイキイキされていますよ。一緒に飲みにいくと「こうしたいんだよね」と提案してくる。そのときの表情は皆、楽しそうですね。自分の経験を活かして能動的にお仕事に取り組まれているからでしょう。「定年後は御社で働かせてください」なんて頼まれたりもしますよ(笑)。うれしい限りですね。

起業もアメフトと同じ。想定したフォーメーション通りにいかないからこそやりがいがある

起業を目指されている方に向けて、何かアドバイスをいただけますか。

尾﨑:まずは「自分はどんな分野で起業したいのか」、明確にしておくことが重要だと思います。どんな事業をやりたいかが決まれば、やるべきことは自ずと見えてきますので。余談ですが、弊社で働く社員にも、「ゆくゆくは起業したい」という者が多いですね。

何をやっていいかわからない、という人は起業するのは辞めておいた方が良いと思います。まずは起業する分野を決めてみてください。

起業するうえで不安になるのはお金の問題かと思います。その点についてはどう思われますか?

尾﨑:そうですね。例えば、銀行から借金を抱えてしまうと「返せなかったらどうしよう」と悩んでしまいますよね。結婚してお子さんがいたりすると、「子供の生活はどうなるんだろう」なんて悩んでしまうこともあるでしょう。

でも、最初からリスクを最小限に抑えておいて失敗できる範囲を決めておけば、その問題もありません。

例えば私の場合ですと、資本金は100万円で、子供たちが成人してから事業を始めました。ほとんどリスクがないような状態ですよね。私のように、リスクを抑えて始めれば、必要以上にお金に悩まされることもありませんよ。

リスクを最小限に抑える。大切ですね。

尾﨑:あと、最近の若い方の中には、事業計画書を書くのが非常に上手い方が多いですね。ただ、私の意見を言わせてもらうと、綺麗な事業計画書を書くことに時間を使うくらいだったら、お客さまのところに行って意見を聞いた方が良いと思います。

アメフトには「フォーメーション」というものがあります。「フォーメーション」通りに動けば点数が入るんですが、実際にはその通りにはならないんですね。

事業計画も同じです。事業計画書通りに上手くいくことなんてない。だから定期的にお客さまのところを訪問して情報を仕入れて、お客さまと一緒にサービスを作り上げていくのが大事かな、と思っています。

私はよくお客さまの目を見ながら、「この人は本当は何を望んでいるのだろう」と考えたりする中で、多くのヒントをもらっています。

取材協力:創業手帳
インタビュアー・ライター:樋口 正

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